第13話・・・・・”阪神大震災1・17”(神戸における震災との死闘)
「神戸で地震なんか!!」
神戸に住む多くの人達はそう思っていただろう。私自信も震度7という大地震を経験することになるとは、夢にも思わなかった。
あの神戸の街を見るも無残に変えた1月17日の5時46分。当日公休の私は自宅で就寝中だった。最初に大きく揺れたかと
思うと、まるでシェーカでシェイクされたみたいに上に揺れるのを感じた。
ペットから体を起こした時、母と妹弟の悲鳴に近い声が聞こえたので 「動くな。すぐに治まる」と言い、自分も自室で立ったまま
地震が治まるまで待った。時間で言えば数秒くらいですが、とても長く感じた。
地震が治まるとすぐに母と妹弟にけがのないことを確認して家に壊れたことがないかと見てみると、電気・水道は使えずガスは
危険と思い使うのはやめ、電話が通じるのを確認した後すぐに、すでに会社に出勤していた父から、無事という電話があった。他に
食器等がかなり被害をこおむったが、家自体の損傷はなく一安心していたところ、「さっきの地震は震度何度だったのか。
もしかして非常招集ぐらいかかっているのでは」と考えていたところ、「甲号非‥‥‥」と途中で途切れた電話が掛ってきた。全員
出勤の招集がかかっていることを母に告げてすぐに単車に乗った。すでに電話は通じず、とにかく水上消防署に向けて走りだした。
すると寸断された道路、崩れた家やビル、それと青空が少なく見えるほど黒煙といたる所で火災が見えた。
やっとの思いでポートアイランドの入口まで来ると、神戸大橋の亀裂のため通行禁止になっていた。その場にいた警察官に事情を
説明し通してもらった。するとそこは洪水が過ぎ去った後のように、ポートアイランドが泥水に埋まっていた。これは後で知ったのだが、
液状化現象がポートアイランドで発生し、さらに地盤沈下も至る所で発生していた。泥だらけになりながら水上消防署にたどり着いた。
すぐに看替え事務所に行くと震度6の地震のため市内各地で数え切れないほど、火災・救助事案が発生しているのを知った。
自分が考えていた以上の災害に驚いていると、水上管内に火災出動が入り私はタンク車で出動した。
この火災は幸いに、小火で済んだが、帰署するとすぐに、署長命で長田管内・菅原通の火災現場に出動した。出動途中至る所で
火災現場を見たが、菅原通の火災が大規模に及ぶため現場に直行した。現場に着くと、これだけの火災に消防車が2〜3台で水が
出ている筒先が1〜2本それも5メートル位しか出ないものばかりである。
前もって水利図で調べていた防火水槽も使用できないことを知り、まず水利を探すために隊員は四方八方に走った。その間も
火は容赦なく拡大してゆき、そんな光景を見るのがとてもやり切れなく、水さえ出ればと皆が焦りだした時、近くの小学校のプールから
水が引けると知り、現場にいた別の小隊と協力してホースを延ばし、やっとの思いで放水できたのだが、数十分で水が出なくなった。
ホースを辿りプール近くに行くと、ホースが途中で切断されていた。その頃消防車を何台かで中継して運河から水を引こうと案が
持ち上がっており、実行されるようとしていた。
プール周辺の火災が収まり再度部署して放水しようとすると、ホースが火の粉等で穴が何箇所も空き、消火作業に支障のでるホ
ースはすぐに交換し、再び消火にあたりようやく本領を発揮できた。
しかし、一区画で火災を抑えてもまた別の区画で火災が拡大していたり、被災した市民に助けを求められてはそれに答え、自分を
含め一緒に活動した隊員も、これほど必死になったことはないと思うほど動き、走りまわったと思う。プールの水が無くなるころ、
運河からのホースのラインがつながり筒先数は少ないが長時間の放水が可能となった。
この時すでに午後を過ぎていた。数回の屋内進入等をして、この周辺の火災が鎮圧したのは、夕方頃だった。私は爆撃の跡とか、
写真などでしか見たことがないのだが、まさしく爆撃の跡のように街が変わり果てていた。
まだ遥むこうの西の空には黒煙が立ち昇っているのが見えた。私たちの小隊は一度長田消防署に立ち寄ってから水上署に帰った。
神戸の夜はライトアップされて夜景の素晴らしい街なのに、街灯すら灯ることなく、遠くで火災の炎が見え、ひっきりなしに聞こえる
サイレンの音に、「神戸の街が元どうりになるのはいつだろう。」と、突然の大地震に怒りをぶつけることも出来ず、「ただ目の前に
ある仕事をやっていこう」と自分にいい聞かせて、こうなれば気力の勝負だと思った。
帰署して間もなくして私は、長田港に部署している消防艇など、各区に出動した部隊食料の配達・燃料の補給等で西は須磨、
東は葺合の間を広報車で走り回わった。この作業が終わり帰署すると、もう朝になっており長田に出動した小隊と現場交代のため
出動した。阪神大震災の当日は休息することもかなわず、これが2〜3日続いた。
この地震でこれだけの家屋倒壊に対し地震発生時、自宅の倒壊は運良く免れたが、「その場を動くな」という判断は果して良かった
のか。地震が発生中でも家族を避難させたほうが良かったのか、今もその判断に悩んでいる。
板敷 昇(水上消防署)
消防広報誌「雪」から転載