第17話・・・・・倒壊家屋からの救出活動 (神戸における震災との死闘)
平成7 年1月17日5時46分、阪神地方を突然襲った地震は、死者5千名以上という戦後最大の大惨事となってしまった。
しかし、その反面我々消防職員を始め警察官や自衛官又一般市民の懸命な努力により一命を救われた人々も少なくはない。そんな
中の一例を紹介します。
幾つかの現場で救出活動を行った後の12時30分頃、大橋町7丁目6番地で 「意識はあるが首から下が埋まり全く動けない
人が居る」 という情報が入った。救急隊の秋吉士長と共に現場に向かった。現場には要救助者の家族や近所の人が何人も
集まっている。我々の姿を見た家族の人が
「お父さん消防の人が来てくれたよ。もう大丈夫やからしっかりしいよ」 と勅ますように声をかける。
生き埋めになっている人は、意識はしっかりしているものの、肩から下が完全に埋まり全く動けない状態であった。
瓦轢を取り除き救出しようとしたが、柱等が折り重なり救出は困難を極めた。体の回りには崩れた壁や家目一ハ等がびっしり
詰まりルーカスやレスキユーツールなど救助器具も使えない。それら詰まっている物を手で少しずつ取り除いていくしかない。
時間だけがどんどん過ぎてゆく。
時折水などを与えながら作業を続けるが、要救助者の体力は目に見えて消耗してゆく。家族の人たちも我々の側で
「お父さん私ら皆ここにおるよ。頑張るんやで」 と必死に声をかけている。
間もなく本署の救助隊も到着。人数が増えたので瓦礫を取り除くスピードもグンとアップした。
体の上に乗っている柱にロープを掛けて上から引き上げる者と、柱を持ち上げる者とに別れ一斉に柱を
上に持ち上げる。 「動いた〃」
少しだが柱が上がり体との問に隙間ができた。すかさず体を支えていた隊員が引き出す、僅かだが引き出す事がでさた。それを
何回も繰り返しっいに17時頃、救出に成功した。要救助者は良時間生き埋めになっていたため体力はかなり消耗していたが、
両足が開放性骨折のみで救出する事ができた。
この一事案では、家族の人たちが近くで常に声をかけて勅まし続けた事が、結果的には要救助者を精神的に元気づけ、救出に
成功した大きな要因の一つになったと思われる。
熊野 修充(長田消防署)広報誌「雪」から転載